朝ドラ「らんまん」のモデル植物学者「牧野富太郎」さん。
日本植物学の父と言われるぐらいすごい人で、たくさんの植物を命名しています。
そして牧野富太郎さんのことを生涯支えてきたのが妻の寿衛子(すえこ)さん。小学校を中退した経歴を持つような変わった夫だったので苦労したのではないでしょうか。
牧野富太郎さんがどんな業績をあげたのか、また妻の寿衛子(すえこ)さんはどんな人だったのか、そしてそんな牧野さんの子孫はどんな人なのか、調査してみました。
牧野富太郎が結婚した嫁はどんな人?
牧野富太郎さんは94歳で亡くなるぎりぎりまで研究を続けていたそうです。
そんな富太郎さんを支えていたのが妻の寿衛子(すえこ)さんでした。
出典元:練馬わが街資料館
寿衛子(すえこ)さんとは東京のお菓子屋さんで出会ったそう。
富太郎さんはお菓子が大好きだったとのこと。
お店で寿衛子さんを見つけ「自然と菓子屋が目につき、この美しい娘を見染めてしまった」と随筆につづったそうです。
そんな富太郎さんと寿衛子さんは1888年頃に結婚。
お子さんは13人授かったそうですが、育ったのは7人だったそうです。。
すごいの一言ですね。。
研究熱心だった富太郎さんを陰で支え、富太郎さんが研究に没頭できるようにしていました。
「借金の取り立てが来ると家の外に赤旗を立てて博士に知らせ、博士は借金取りが帰って赤旗がなくなるまで外で待っていた」というエピソードもあります。
時代背景などもあると思いますが、現代ではあまりみないですね。
牧野富太郎の子孫は記念館の学芸員!
牧野富太郎さんの子孫は何をしているのか調査してみました。
なんと、ひ孫にあたる人が東京都にある「練馬区立牧野記念庭園美術館」の学芸員をしているとのこと。
牧野一浡(まきのかずおき)さんというお名前です。
元々は普通のサラリーマンとしてお仕事されていたそうなんですが、記念館がリニューアルされるタイミングで学芸員としてお仕事されるようになったとのこと。
牧野富太郎さんとの思い出も身内の方が語るとまた違いますよね。
牧野富太郎の業績がすごい!「らんまん」のモデルで小学校中退?
牧野富太郎さんは「日本植物学の父」と呼ばれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威です。
出典元:高知県立牧野植物園HP
94歳で亡くなる直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製していて、1500種類以上の植物に命名しました。
独学で植物の知識を身につけ、新種ヤマトグサを発表して日本人として国内で初めて新種に学名をつけました。
また、現在でも研究者や愛好家の必携の書である「牧野日本植物図鑑」を刊行。
全国からの要望に応じて各地を巡り、植物を知ることの大切さを一般に広く伝え、植物知識の普及にも尽力しました。
2023年に放送予定の朝ドラ「らんまん」は牧野富太郎さんをモデルにした天才植物学者のお話で、主人公は「神木隆之介」さんが演じるということがつい最近発表されました。
牧野さんの生涯をドラマ化というわけではないので実話ではない部分も表現されているとは思うのですが、牧野富太郎さんの94年の生涯を魅力的に表現されるんだろうと思います。
牧野富太郎は小学校中退?
牧野富太郎さんは1862年に高知県にある裕福な商家の息子として生まれました。
1872年に寺子屋へ通って習字を習い、翌年にはほかの塾で漢字や西洋学科、英語等を学びました。
1874年からは教育の制度改革の影響もあって地元の佐川小学校に通い始めましたが、小学校の授業に飽きてしまい2年で自主退学しています。
学校を自主退学しているけれども翌年には臨時教員として採用されていて、当時の教育制度はよくわかりませんね。
小学校退学後も様々な植物学の権威と連絡を取り植物の研究を続けていました。
大学の教員になったり、解雇されたり支援を受けたりしながら研究を続けた結果、1927年に65歳で理学博士の学位を習得しました。
小学校中退なのに理学博士…今の日本では考えられないことですね。
牧野富太郎が結婚した嫁はどんな人?子孫は?のまとめ
牧野富太郎さんは94歳で亡くなる直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製していて、1500種類以上の植物に命名しました。
小学校を2年で中退したり、お子さんを13人も授かったり、今の時代では考えられないことをたくさんやっておられた方で、そんな富太郎さんを支えた妻の寿衛子さんはすごい方ですよね。
2023年の朝ドラ「らんまん」では牧野富太郎さんをモデルにしたお話を放送中です。
毎日目が離せないですね。